「話が噛み合わない。」
「話が長い。」
「自分の頭にあることをそのまま話してしまい、結論が出ない。付き合わされる周りの時間を無駄にしている。」
上司との面談で言われた言葉。
答えを導き出すために、「暗記」だけで勉強を乗り切って来た私には、「論理的思考」が欠如している。
ここまで働き続けて来れたのも、できないことを出来るようにするための必死の「努力」を積み重ねて来た「経験値」でどうにかカバーしてきたから。
本質を見抜く力がある部下は、私の問題を見透かしていた。
そして、私は部下との人間関係の軋轢について上司に訴えることを通して、上司にも見透かされたのだ。
今の職場において私が訴えかける問題の原因は、すべて私自身のこの問題、つまり、論理的思考の欠如に帰結させられる。
自分を守ろうと上司や部下に訴える行為は、逆説的に自分自身の無能さを露呈するだけの自傷行為になってしまう。
「◯◯さんは、何かに怯えている」(部下)
「◯◯さんは、なぜ、そんなに自信がないの?」(先輩)
「20年近くキャリアを積み上げて来ているのに、何故、1年目、2年目の部下に罵られる態度に取られるんだ?何故、もっと課長代理としてデンと威厳を持った態度で臨めないんだ?何故、そんなに自信がない?」(上司)
これらの問いかけに、自分自身もピンと来なかったが、今なら答えがハッキリ分かる。
周囲からは見たら私の問題は明らかだったのだ。
結論を導き出すための論理的思考の欠如。
今の組織で仕事をする上で、私はこの問題に怯え、周囲は苛つく。
東大、京大、一橋と、一流大学の卒業者が名を連ねる今の職場では、論理的思考が得意な人の集まりだ。私が一番苦手とする人達の職場の集まり。
担当者でいる間は、自分自身の欠点・弱点を周囲がカバーしてくれた。
しかし、課長代理にとなった今、欠点・弱点は「頼りない」「仕事ができない」と言う攻撃の的となる。
何故なら、上司となった以上、部下達は自分に合わせざるを得ず、無能な上司の下についた部下は即、被害者になってしまうからだ。
「◯◯は感性の人間だ」
「◯◯は編集者に向いてる」
入社当時、一緒のチームで働く先輩から言われ、ピンと来なかった言葉も、今なら腑に落ちる。
編集は論理的思考と言うよりビジュアルと感性が重要な能力であり、暗記と努力によって積み重ねてきた経験値がそのままキャリアに生かされる仕事だからだ。
しかし、これに気付いた今、41歳を迎える私は、今から長く積み上げたキャリアが物を言う分野に転職することは難しい。
何とか今いる職場で周囲に迷惑をかけず、無理なく与えられた仕事をこなすことができる部署に異動するしかない。
大事なことは、自分の長短を知り、自分の置かれている環境を知り、自分のポジショニングを知った上で謙虚に立ち振る舞うことだ。
自分の強みを生かすことができないのは辛い。
しかし、これも私が選んだことであり、責任を持つしかない。
そして、自分の強みを生かせる仕事を副業にするしかない。
そして、今の仕事を辞めて副業を本業にできるよう、組織にいるうちに準備することだ。
因みに、この気づきは、考えて思考で得られたものではなく、祐氣取りで泊まりに来た宿の明け方、意識が覚める頃にふと降りて来た。
自宅のベッドに寝ていたら、決して気付かなかっただろう。
「できるだけ泊まった方が良いのよ」とアドバイスをくれた先生の言葉を思い出し、これが祐氣取りの効果なのだろうか、と驚く。
「騙されたと思って」と言う前置きと共に「19日火曜日の早朝に帰ってらっしゃい」と言うアドバイスを信じて、もう一泊して帰ろう。
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